恥部の思想

アイドルについての書かれない報告

それでもアイドルはトイレに行かない

駅やらデパートやら催事場やら観光地やら、人の集まる場所に出かけた際、なにより心に残るのは、トイレに並ぶ女たちの姿である。楽しかったあの場所、この場所そんな場所の記憶は、いつも脳裏に、女たちのトイレ待ちの大行列と共に刻まれている。 そしてまた、行列を見て思い出す。その昔、恋人といったお台場を、那須塩原を、中野の大予言を。

 彼女は、わたしの人生で唯一の恋人だった。いつも二人でトニー・コジネクという昔の歌手のうたを聴いていた。暑い夏、二人ででかけた横浜のウキウキウォッチングで、彼女は、おしっこしてくるね、といって行列に加わり、やがてトイレのなかに消えていった。わたしには、けっして追いかけることのできない闇の中へ。

 思い出など、便器に流して、きれいさっぱり忘れちゃいないよ、ねえ、わたしを君のカノジョにしてよ。トイレに並ぶ女たちの背中は、そうわたしに語りかけ、わたしを誘惑する。美しい女たち。わたしを愛してくれるいじらしい女たち。しかし、思う。わたしはさとう珠緒ちゃんのような、無垢な美少女が好きなのだ。珠緒ちゃんはトイレにいかないし、仮に別の用事でトイレに行く必要が出来たとしても、きっと平然とした顔で列に加わったりしないだろう。

トイレに並ぶということは、これからわたしは、排尿もしくは排便をしちゃいま~す、と不特定多数の男性にアピールしているようなものである。綺麗にオシャレして、よい香りを漂わせている女性たちが、どうして自分が排尿もしくは排便する存在であることを皆に知られて平然としていられるのだろうか?

 誤解なきよういっておくと、わたしは女性トイレの行列が大変なことは理解しているし、ましてや女性だって排尿もしくは排便をすることを、ちゃんとちゃんと知っている。そう、さとう珠緒ちゃん以外の女性はすべて生理現象として、排尿もしくは排便をする。当然のことだ。

女性たちは口を揃えて、さとう珠緒ちゃんになりたい、憧れの女性ナンバー1はさとう珠緒ちゃんだというが、それなら髪型やファッションをまねするだけでなく、彼女の無垢さを獲得しようと努力すべきだろう。排尿もしくは排便を一切しないというのは無理だとしても、個室に入り、スカートとパンティをおろすギリギリの瞬間まで、無垢な存在であろうと努めるべきだ。

トイレなんて言葉が一般化したのがいけない。化粧室でいいじゃないか。化粧室、そこは排尿もしくは排便をする場所でなく、女性が化粧を直す場所。珠緒ちゃんになれない一般女性が、懸命にイメージとしての無垢を産出する美しい場所。

これから女性たちは、ナプキン入れでなく、化粧ポーチを手に持って、必要なら化粧道具も取り出して、これから口紅つけるのよぉ~、とまわりにアピールしながら化粧室に並ぶ。男たちは、本当は排尿もしくは排便をすることを知っていながらも、無垢であろうと努める女たちの姿を微笑ましく眺める。あからさまな、装われた無垢さでもいいじゃないか。化粧室でもっと綺麗になるの、と思っていれば、大行列もぜんぜん苦じゃないはず。

 

そう、それが珠緒ちゃんの教えてくれた大事なことだ。

 
そうそう、かつて恋人ときいたトニー・コジネクのアルバムは『Bad girl songs』という題名だった。 「Bad girl」、この歌を愛らしい 珠緒ちゃんに捧げたい。

バッド・ガール・ソングス

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