恥部の思想

アイドルについての書かれない報告

アイドル語りをするバカ

自分の好きなアイドルについて文章を書いてみたいのだけど、なんか上手くいかなくて、書いて消して書いて消して、一瞬公開して、また非公開にして……を繰り返しているのだった。


一応音楽ファンなので、アイドルの音楽について、あれこれ分析したり理屈こねたりは出来なくもないのだけれど、なんだか、それは自分のアイドル体験に正直じゃない、ただスカしているだけだと感じてしまう。好きなアイドルのCD聴くときは、楽曲を楽しむだけじゃなくそのアイドルへの恋心や欲望を抱いてて、一緒に歌い、MIXいれながら、届かない思いに身悶えしている。自分はいつもそうだ。醜い、当然醜いけど、聴き手の生々しい感情や欲望を無視したアイドル評論って、なんの意味あるのだろう?


いくら楽曲がイマイチと感じても、チェキ会での対応が素晴らしかったら、その曲が、また違って聴こえはずだ。それくらい、アイドルへの評価や好意は、オタクの感情によって移ろうものだ。純粋芸術じゃないのだから、アイドルについて語る時は、そのオタクのココロをすくい取ってほしい。


アイドルが「キミ(君)」と歌う時、オタクは、「キミ(君)」を自分の事だと妄想している。その妄想を発動させる力について文章を書いてみたいのだけど、自分には無理。

でも大好きな、ネクロノマイドルや、メゾン・ブック・ガールや、とみにか共和国ついてなにか書いてみたい。


そんな事をウダウダ考えながら、書いたり消したり、文章を公開したり、非公開にしたりを繰り返している時に、ロマン優光の『日本人の99.9%はバカ』を読んで、そうそう、と納得したのだった。ちょっと長くなるが、引用する。


「しかし、みなさんアイドルシーン全体の現状を総括したり、『このアイドルは他のアイドルと違って⭕️⭕️だ!』と語ったりするのお好きですね。」


「私は自分のみているものにしか興味なく、それがシーン全体の中でどういう位置づけとかいうのにも全く興味がないので、当然ながら、アイドルシーン全体みたいなものには全く興味がなく、またそれを語ったり出来るだけの知識も資格もなく、よくわからないことを知っているように語るだけの厚顔無恥さもありません。
私に出来ることはお金のある時に好きなアイドルのライブに通って物販に並び、まみちょん可愛いかったな、と他人にとってどうでもいい感想を抱き、アイドルにDMを送りつけては「なぜ返事をよこさないんだ!  遊びじゃねえんだ!」とTwitterで発狂している中年を横目で眺め、「ああならないように気をつけて生きていこう」と思うことぐらいなのです。」


ロマン優光さんは、アイドルを、個人的な密かな愉しみだと理解し、とても慎み深くアイドルを愛でている。そして、「まみちょん可愛かったな」、この言葉に、オタクの快楽が全てが集約されている。

「まみちょん可愛かったな」、この感想を抱く至福の一瞬のために、ドルオタは、予定を調整して持ち時間20分のアイドルイベントに通い、ジャージャー叫んで、チェキ会の列に並ぶ。

「まみちょん可愛かったな」の前には、どんな優れた楽曲分析も、シーンの総括も、ただの饒舌な無駄話にすぎない、と思う。


繰り返すがロマン優光さんのアイドルの愛で方は慎み深い。ただ、自分は野暮は人間なので、「まみちょん可愛かったな」の発動前後を捉えた文章をいつか書いてみたい。う〜ん、難しいな。